Wednesday, December 2, 2009

爵位制度の検討

華族制度の発足以前から爵位による華族の格付けは検討されていた。明治2年(1869年)5月には華族を『公』・『卿』・『太夫』・『士』の四つに分け、公と卿は上下の2段階、太夫と士は上中下の3段階という計9等級に分ける案が三職会議から提出された。明治4年(1871年)9月には正院から左院に『上公』・『公』・『亜公』・『上卿』・『卿』の5等級に分ける案が下問された。これを受けた左院は10月に『公』・『卿』・『士』の3等級に分ける案を提出した。明治9年(1876年)には法制局が『公』・『伯』・『士』の3等級案を提出し、西南戦争以前は3等級案が主流となっていた。

明治11年(1878年)2月4日、法制局大書記官尾崎三良と少書記官桜井能堅から伊藤博文に対し、『公爵』・『侯爵』・『伯爵』・『子爵』・『男爵』の5等級案が提出された。これは五経の一つである礼記の王制篇に『王者之制禄爵 公候伯子男 凡五等』とあるのにならったものである。

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